2011-04-16

書評: 小倉紀藏著「韓国は一個の哲学である」

こんにちは。今日は韓国に関する本を紹介したいと思います。

第1弾は小倉紀蔵(紀藏)著「韓国は一個の哲学である <理>と<気>の社会システム」です。



小倉紀藏(おぐらきぞう)先生は、ちょうど「冬ソナ」が日本でヒットしたとき、NHKテレビ「ハングル講座」で講師をされていたので記憶にある方も多いと思います。先生は韓国哲学(儒教 - 朱子学)を専攻され社会学方面が専門なので、単なる語学教師とは違い韓国理解の深さは並大抵のものではありません。
この著作はかなり以前(韓流ブーム到来の前)に読みましたが、「ここまで韓国を知ろうと格闘し理解している人がいるとは...!」と衝撃の一冊でした。

内容ですが、なぜ韓国人は<괜찮아요:ケンチャナヨ>と結構いいかげんなようでいながら、他の場面ではいやに理屈っぽく問い詰める<따지다:タジダ>のか?個人主義のようでいながら集団主義でもあるのか、マナーが良いのか悪いのか...といった韓国の二面性などの「なぜ?」「どうして?」について「朱子学」の<理=道徳性>と<気=物質性>の観点からするどく解説されています。

その他、韓国との比較から国際社会での日本人の問題点も浮き彫りにされます。現代日本社会には<気>しかなく、<理>があまりにもないため国際社会で非常に理解されにくい。例えば以下。
日本のドラマでは、「何となくあなたとはもうやっていけそうにないの...」と何となく恋人が別れるが、
韓国のドラマでは、「あなたはこういう理由で間違っている。そんなあなたとつきあうことは私の道徳性を傷つける。だから別れなくてはならないの!」と理屈をまくしたてる。道徳を叫んでいるのである。これが道徳志向性である。
日本のドラマはだるく、退屈だ。そこには世界観の対立、主体間の闘争が皆無である。
韓国のドラマは、息つく暇もない言葉の戦い。それこそが、ドラマなのである。
2002年のワールドカップの招致合戦においては、
韓国の主張は「W杯を韓国で開けば、南北統一と東アジアの平和に寄与する」といった壮大で意志に満ちた提言であったのに対し、
日本の主張は、「共同開催は前例がない」と言うばかりで、まったくメッセージを放棄しているものであり、また「世界の一流プレーを生で見たい」といった個人の趣味レベルの発想であった...
目次から興味深いものを抜粋してみます。
韓国・道徳志向的な国
日本と韓国における道徳のイメージ
<儒教=形式主義>は誤りである
上昇への切望<理>志向性のしくみ
<理>と<気>のしくみ
<理>とは道徳性である
<気>とは物質性である
あこがれ/悲しみとしての<ハン>
<ハン>を解くとは、あこがれを解くこと
<理>はひどく疲れる
<理>の疲れを癒す<気>
コスモス志向性
最強のコスモスは<말:言葉>
ハングルの<理気>的しくみ
<멋=粋>の<理気>的構造
天才の生まれる国
スポーツの天才
<ケンチャンタ><タジダ>
<理のキリスト教><気のキリスト教>
朝鮮の儒教は空理空論ではない
朝鮮のインテリはおおしく、日本のインテリはめめしい
本書は哲学者ウィトゲンシュタインのスタイルで記述したそうで、やや難しめの文章ですが、もうすこしやさしく解説してあるものはこちら。
いずれも、もう一歩深く韓国を理解したい方にはたいへんお勧めです。
教室でも貸し出していますので、興味のある方はご一読ください。

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